江戸時代と狂犬病

 

享保十七年(1732年)、狂犬病は日本の長崎に上陸しました。八代将軍徳川吉宗は鷹狩りのための優秀な猟犬を求め、長崎オランダ商館や清国に猟犬を注文していましたが、輸入した犬の中に狂犬病に感染していた犬がいたようです。
当時日本の犬は放し飼いだったため、喧嘩して咬みつき合い、またたく間に伝染していきました。

さまざまな書物に当時の混乱した様子が記録されています。

●「はしか犬が、犬、人間、牛馬などに喰い付く」 『万年代記帳』(福岡藩鞍手郡)

犬、人、牛馬は、みな倒れ、狂犬病はたちまち中国路に蔓延しました。

●「備前、備中、広島、備後あたりの犬までも病つき、人民にかみつき、多く人損じ(死亡)も之あり。播州(兵庫)まで同様の由なり」『草間伊助筆記』(大阪)

●「犬わずらいて、狂い駆けて人に喰いつき倒れ死す。中国辺は犬ことごとく死に果て一疋もなし。またその毒気に触れ侵されて人も即死、あるいは日を経て死ぬるもあり」『翁草』(京都)

江戸では元文元年(1736年)の冬、狂犬病が流行し、「犬煩い、多く死す」と『武江年表』に記されています。

結局、当時日本の狂犬病は局地的な流行と沈静化を繰り返し、やっと国内から根絶されたのは200年以上が経過した1957年でした。


狂犬病は人畜共通伝染病です。そして発症したらほぼ100%死亡します。
世界では現在でも毎年5万~6万人もの人が命を落としているという、本当に恐ろしい病気なのです。

今後も狂犬病を日本で出さないように、そして万が一海外から持ち込まれたとしても、自分達の大切なペットや大切な人が感染しないように、飼主様の責任において、毎年全てのわんちゃんに、しっかりと予防接種を受けさせ、安心して暮らせる日本を引き続き作っていきましょう。


(狂犬病ワクチンは明治十六年(1883年)、パスツールによって開発され、日本では長崎病院内科医長・栗本東明がワクチン製造に成功、明治二十七年(1894年)から国内でのワクチン注射が始まりました。)         

 
参考図書:犬たちの江戸時代

2021年04月14日